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​中興開山知足上人

​―不動尊中興の祖 木食知足上人―

現在の不動堂とご本尊・不動明王坐像を建立されたのが秋保大滝不動尊中興の祖といわれる知足上人(ちそくしょうにん)である。

上人は滝原(たきのはら)の佐藤家に生れ幼名を太作(たさく)といった。

幼少の頃、母が目の病いで苦しんでいるのを見て、母の目が治るようにと何日にもわたり大滝のお不動さまに祈り続けた。するとある時、母親の目の病が治り、見えるようになったのである。太作はこの出来事をきっかけに、お不動さまへの報恩謝徳の志を深め、不動堂別当、西光寺の順昌法師の弟子となる。

 

19歳の時に仙台城下八幡町龍宝寺で得度(とくど)し、名を岳運(がくうん)と改め出家する。出家後すぐに日本回国修行に出かけ、1年以上にわたる旅の中で高野山や四国・中国、九州にまで足を運んだ。無事に戻った際には、境内に「大聖不動明王」と彫られた大きな石碑を建てている。この回国修行の後、再び名を改め「知足(ちそく)」となった。

 

その後は、近くの大岩山に籠もって断食の修行をしたり、羽黒山荒沢寺(こうたくじ)で千日の五穀を断つ荒行を積み、「木食(もくじき)行者」となる。

その後、不動堂の中興を発願し、文化元年(1804年)から19年間、奥州をくまなく巡錫(じゅんしゃく)して喜捨をうけた浄財で文政8年(1825年)に不動堂建立、翌9年(1826年)には現在のご本尊である不動明王坐像の開眼(かいげん)が行われた。

 

不動尊像、不動堂の完成後も上人は各地を巡錫した。その際に書いたと言われる書が各地に数多く残っている。そして文政11年(1828年)9月5日、上人が40歳の時、衆生済度(しゅじょうさいど)の本願を発し大滝の岩頭から投身遷化したと伝えられる。

 

滝見台への道沿いに「大滝中興開山贈法印岳運」と刻まれた2メートル余りの五輪塔が立っており、これが知足上人のお墓として現在にいたるまで守り継がれている。

※開眼…新たに作られた仏像・仏画に仏の魂を迎え入れ供養する儀式

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​開山知足堂
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​日本回国修行後に
建てたとされる石碑
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​「新山大権現」の石碑
​【滝見台付近】
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​知足上人のお墓
​【向かって右】
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